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主権回復の日は日米安保万歳の日 「サンフランシスコ講和条約」で日本は本当に独立したのか。

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4月28日の「主権回復の日」に合わせてアップするつもりが遅くなりました。


先週のデモクラTVで、コメンテイタ―の山田さんが力説していました。

「主権回復の日は日米安保万歳の日」だということを、みなさん覚えておきましょう」


先週4月28日、サンフランシスコ平和(講和)条約が結ばれた日を主権回復の日として、安倍政権主導で国家的式典が行われました。これに対して、この日は沖縄が米国に従属させられた屈辱の日であると沖縄が大反発したことは記憶に新しいと思います。


沖縄の人が怒るのは当然として、この日は沖縄にとってだけ屈辱の日で、それ以外の日本は本当に主権を回復したの?


日本史がまるきりダメなわたしのために、友人がメールで初心者向けミニレクチャーを行ってくれました。おそらく多くの人がサンフランシスコ講和条約という言葉は知っていても、その中身は知らないのではないかと思います。分かりやすくて簡単に読めるので、ご紹介します。


メールより引用(強調文字は管理人):

安倍が「主権」「回復」なんて、彼は分かってやってるのでしょうか?

サンフランシスコ平和条約(講和条約)と同時に発行したのが、「(旧)日米安保条約」でした。


「独立」後は、中国・ソ連・イギリス・アメリカ各軍で編成された占領軍は解散しなければなりません。
解散させてアメリカは、アメリカ軍だけを日本に駐留させたかったわけですね。占領軍を解散するには、占領を終了すればよい。つまり「独立」させればよかったわけです。

しかもサンフランシスコ平和条約では、「独立」後、日本は「安全保障」のための条約締結権が保障されました。もちろん、日本はアメリカとだけ条約を締結しました。それが「(旧)日米安保条約」でした。


サンフランシスコ平和条約を調印した1951年、調印したわずか6時間後に調印したのが「(旧)日米安保条約」です。そして、「独立」した1952年4月28日に「(旧)日米安保条約」も発効するように仕組まれました。


1952年4月27日までのアメリカ軍は連合国4ヶ国の一員として日本に駐留していましたが、1952年4月28日からは、米国が単独で指揮するアメリカ軍が日本に駐留することとなりました。


日本は他の国とは条約を締結しませんでしたから、アメリカ軍だけが、引き続き、そのまま日本に居座ることができました。
当然、他の中国・ソ連・イギリスの各軍は日本から直ちに撤退しました。これらすべての前提が、日本を「独立」させることでした。

「日米安保条約」を結んで、アメリカ軍だけで日本に駐留するために考え出されたのが「日本の独立」だったわけです。日本をアメリカの支配下に置くための「独立」と言えるでしょう。


しかも、この不純な「独立」と引き替えに、日本本土へのアメリカ軍侵攻を少しでも遅れさすための沖縄戦で苦渋をなめた「沖縄」をアメリカの統治下に置くことを日本政府は認め、サンフランシスコ平和条約にそのことを明記しました。

1952年4月28日という日は、「主権」をアメリカに売り渡し、あの沖縄や小笠原・千島列島を日本から分離することを世界に認めた日です。
「アジア・太平洋戦争」終結から7年。その戦争責任を国内外に対してウヤムヤにしている日本が、「日米安保」発効の日に、「独立バンザイ」と叫んでいた日です。


なぜ、この日に沖縄が日本から切り離されたのか? すべてアメリカの主導で進められました。「主権回復」した「記念すべき日」だなどとして、政府が得意顔で式典を開催する日ではあり得ません。
(引用ここまで)


歴史の授業で、「4月28日は日本が独立した日です。みなさん覚えておきましょう」と説明されても、きっとそのうち忘れてしまう。

でもこういうレクチャーをしてもらうと、記憶力激悪の私でも、この日がどんな日だったか、絶対忘れないと思います。





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